今から60年前。東京近郊に駐留するアメリカ人兵士に恋をした日本人女性が多数いました。しかし異動などで日本の地を離れなければならないアメリカ人兵士に向けて手紙を書こうにも、英語の分からない日本人女性もかなり多かったようです。そんな時、日本語の手紙を英訳して手紙を送るのを手伝う代筆業者が、闇市の並んでいた現在の「渋谷109」付近にあったそうです。

その横丁は、一軒当たり広さ2〜3坪のバラック小屋のマーケットが立ち並び、約2メートルほどの道幅の両側に、古着、ギョーザ、焼き鳥など36軒がひしめきあっておりました。その中で軍服や古着を売っていた菅谷篤二さんが恋文の代筆をしていたようです。菅谷さんは外国語、特に英語、フランス語が堪能で、本業以外にホステスが持ち込む米兵へのラブレターの翻訳や、手紙の代筆を手がけるようになり、それが口コミで知れ渡っていきました(今のように携帯電話もインターネットもない時代です)

一部の新聞記事によれば、やがて菅谷さんをモデルとして、1953年、作家・丹羽文雄氏の小説「恋文」が出版され、女優・田中絹代の初監督作品で映画化されると「恋文横丁」の名前が定着するようになったとあります。

1965年に横丁が大きな火事に見舞われ、半分近くの店舗が焼け、周囲の店が続々と去っていきました。菅谷さんの店も焼失し、数百メートル離れた場所に店を移して、1985年12月22日に80歳で亡くなるまで、代筆屋「恋文横丁」を続けたそうです。2005年8月末、横丁跡の一角にあった一軒の薬局が取り壊され、店の側壁に「”恋文横丁此処にありき”」と記されていた大きな看板も外されてしまい、「恋文横丁」の存在を示すものは小さな記念塔しかありません。辺り一帯は区画整理で横丁ではなくなってますが、私たち「『渋谷で恋するメッセージ』実行委員会」は、iPhoneアプリ「セカイカメラ」を使い、「セカイカメラの中”セカイ”」(拡張現実によるセカイ)で、伝説の「恋文横丁」復活させたいと考えました。

21世紀の現代のさまざまな恋模様をエアタグに託し、恋文横丁をピンク色のハートに染め上げて、みなさんの恋愛成就を叶えたい。
ぜひ、この機会に「恋文横丁」に足を運んでみてください。

2010.1.29
『渋谷で恋するメッセージ』実行委員会